年々ひどくなるPMS対策に漢方を始めてみた
※画像はパクタソより
3週間ほど前から漢方を始めてみました。きっかけはPMS(プレ・メンストラル・シンドローム=月経前症候群)。とにかくひどく、ただでさえ気分にむらがあるところにうつ傾向がプラスされてしまう。苦しむ私にていねいにアドバイスをくださったsoraさんリコメンドの漢方医さんを訪ねることにしました。
漢方医ってすごいんですね。
舌とお腹の触診だけで、いま抱えている悩みをずばり言い当てられました。
「雨の日ってつらい?」とか
「生理前ってかなりひどいでしょう?」とか。
「う~ん……いま飲んでいる精神科系のお薬と総合して判断すると、婦人科系ではなく、精神科系で西洋と東洋を併用していった方がよさそうね。ここは精神科の先生の診療日もあるからそちらで一度診察してもらったらどうかしら?」
そこは漢方を専門としながら幅広い科目を扱っていて、漢方専門医資格取得のための指導施設にもなっているようなクリニックです。
これまで通っている(通ってきた)精神科系の病院では、不調を訴えるととにかく薬を増やして対応しようとすることが多い。
【極力薬を減らしたい私 vs 薬を増やそうとする医師】
という構図がいとも簡単にできあがってしまうんです。
後日、改めて精神科の先生がいる日にクリニックへ行きました。ここでも舌とお腹の触診だけで見事言い当てられました。
「相当つらいやろ?かわいそうやなぁ。」←バリバリの関西弁
「自分で気づいてへんもしれへんけど、思った以上に胃腸が弱いねん。まずはそこからよくして、体全体を引き上げるようにしてこか。」
「先生、婦人科系はどうしたらいいでしょう?」
「せやなぁ。その先生と僕も多分同意見やからこっち(精神科)だけでええで。お金も時間ももったいないやろ?」←関西人の精神
「今飲んでるお薬はどうしましょう?」
「それは絶対飲んどき。いまの病院で出されてる薬はほんまによう工夫されてる。頑張ってそこまでたどり着いたんやなぁ。それは飲まんくなったら大変なことになるから、飲んどきや。」
苦節8年、さまざまな薬を処方され紆余曲折しながらここ3年でようやくたどり着いたお薬を否定されなかったこと、そして頑張ってきたことを認めてもらえて泣きそうになりました。迷わず通院することを決めました。
しかしながら、食事に関する指摘を受けました。
◆果糖、砂糖はNG
◆主食より副菜をメインに
◆体を冷やす食べ物は極力避ける
これをしっかり守ると私の体重は減少の一途をたどることになります。
ただでさえ、食欲、というものから縁遠いというのに。
(どないしたらええんや)と少々パニックになり、晩ごはんを抜く、という日が2日連続続きましたが、至った結論は「とりあえず果糖・砂糖は控えよう」です。もともと甘いものは苦手だし、大好物のスナック菓子と非常食(食欲がまったくないとき)のゼリーをやめてみよう。
炭水化物控えたら痩せてしまうし、コーヒーや紅茶をストップすることはできません。
【食事に気を付ける<<<<<体重を減らさない】
ここ、ぶれたら本末転倒になります。
※もっとブログを上手く書けるようになりたいですが、なかなか難しいです。まぁ個人的なものなのでいいんですけど。
「ありがとう」の応酬
一昨日の晩、友達からLINEでこう聞かれました。
「このむさんって友達多いよね?一人ひとりに時間割いてるの?」
ふむ。友達が多いかどうかは別として、時間を割く、という発想はなかった。
自慢に聞こえるかもしれませんが、「こむさんがいてくれて本当によかった」と言ってもらえることが多いです。
ありがたいことに私は本当に『人のご縁』に恵まれていると思います。
昔は、自分のキャパシティ以上に人のことを考えていました。
「誰かの役に立ちたい」それこそが自分の存在意義で拠り所でもありました。
そのおかげでとびきり素敵な、そして自信を持って自分は幸せだったと誇れる過去があります。
そのせいでまるで世界のどん底に突き落とされたようなつらい過去もあります。
それがなかったら?それがなかったら今の私はいないでしょうねぇ。
今の私は私のキャパシティを第一優先にしています。私ができることなんて限られているので、その範囲内で大切にしたい人を大切にできるよう努めているだけ。
だから「いてくれて本当によかった」という言葉は私にとって泣きそうなくらいとびきりうれしい言葉なんです。
とてもうれしかったです。本当にありがとう。
ランサーズマガジンの『THE LANCER』で私を見つけてくれたことが、私の夢を認めてくれたことが、ただただ純粋にうれしかったです。
まさかそのつながりからここまでの想いを抱くようになるとは、当初は思ってもいなかったです。
親友になれるかも、なれたらいいな、と思っているのは私のほうです。
※勝手にリンクを貼ってます。
2017年は抱負を掲げずやりたいことをやる
今年一発目のブログがすでに2017年も12日経過した日になるとは……
昨年末から「お?これやりたい!」と感じたことを順に思いつくままリストアップしています。今年はそれらを少しずつやっていこうかな、と考えています。
(LIVEは常に行きたいものなので割愛です)
●インド旅行
●ポンペイ(イタリア)に行く
●名古屋市科学館のプラネタリウムに行く
●本郷亭のラーメンを食べる
などなど……ワールドワイドなことからローカルなことまでいろいろと。
あとは積極的に心に栄養を取り入れていきたいです。
書評用に月2冊は本を読んでいますが、それとは別に「少なくとも一ヶ月に一冊は小説を読む」。あとは「三ヶ月に一度は映画館で映画を見る」。
今年最初に読んだ本がこちら。「アンマーとぼくら」
有川浩さんはデビュー時から好きな作家さんです。
主人公と主人公の父、その父の再婚相手、晴子さんが少しずつ家族になっていく物語で舞台は沖縄です。
「アンマーとぼく」ではなく「ぼくら」と複数形であるのは、きっと主人公にとってもその父にとっても、晴子さんはあたたかくおおらかな愛で包み込んでくれる『母』のような存在だったのでしょう。
過去と現在が少しずつ交錯しているのかと思いきや、最後のトリックには、さすが有川作品!と頷かずにはいられませんでした。
毎度毎度ですが、取材に裏付けられた情報がてんこもりなので、素直に沖縄に行きたくなりましたよ。やりたいことリストに追加です。
そして今読んでいる2冊がこちら。 「聖の青春」
最初の数ページですでに泣きそうです。映画は見たので原作もしっかり読んでおこうと思って。
そしてデビュー作で度肝を抜かれた住野よるさんの2作品目。「また、同じ夢をみていた」
今日届く予定の「この世界の片隅に」も楽しみです。
小説を通して、別の人の人生を生きた気になる。さまざまな感情や経験を学べる。
文字というシンプルな情報でそれらを伝える「作家」という仕事は本当にすごいなぁと思います。
読書の秋、そして冬
読書に耽る12月。冬至を挟むから、でしょうね。昼の時間が短くなり夜の時間が長くなると、余計なことが頭と心をよぎり、深く深く沈みがちになります。それらの思考から逃れるべく、小説の世界に逃避する傾向にあります。
書評用以外では自己啓発本やハウツー本は一切読みません。純文学も苦手で、本屋大賞にノミネートされる作品や直木賞候補にあがる作品が好きです。
昨日一息に読んだ小説の最後のほうに、こんな表現がありました。
人生には、ときどき、有頂天になるような素敵な夜があるけど、そこで、めでたしめでたしで世界が終わるわけではない。
幸福な夜は、そのほかの幾銭の、どうでもいい夜に紛れてしまう。心の中で、化石みたいに干からびてしまう。
だけど、そんな化石を胸に抱いていられることは、とても幸せなことなのだ。
欲しかった言葉をもらえた気持ちになりました。幸福な過去を抱いていられるのはそれだけ幸せだったのだろう、と。
大事なことがそこかしこに組みこまれている感じでした。
タイトル:ふたつめの月
著者:近藤史恵
読みやすさ:★★★★★
スピード感:★★
ワクワク度:★
ハラハラ度:★
癒し度:★★★★
※あくまで主観です。
シリーズものの第二作目です。第一作目はこちら(多分、未読)
タイトル:賢者はベンチで思索する
近藤史恵さんの作品では、ロードバイクシリーズが好きです。 本当に面白いのでおすすめ。
読みやすさ:★★★★★
スピード感:★★★★★
ワクワク度:★★★★★
ハラハラ度:★★★★★
癒し度:★
何でもできるは何にもできないと同じだと思っていた
きれいでしょう?須磨海岸から望む夕日と明石海峡大橋。
今年の春でしょうか?失業したんです、と高校の先輩に言ったとき、それ本気であかんやつやん、と失笑を買いました。「アピールポイントや強みってなに?」と聞かれたときに、少し悩みました。何でもできるっちゃ何でもできる、器用にこなす、は強みにならないと言われました。「それじゃダメだよ。自分にしかない強みをアピールできなきゃ」同じことをデザイナーの友人にも言われたことがあります。
さて先日。今年8月頃でしょうか、少し関わらせていただいている神戸のせっけん屋さんの忘年会にお声がけいただきました。5名とこじんまりした忘年会で、私だけが初参加のはじめまして。皆さんクレバーな方ばかりで、とてもとても楽しかったです。(どんちゃん騒ぎで飲めない酒をのまされる、飲めなきゃ怒られる。前の会社の忘年会とは大違い。)
そこでいろんな職種を経て今に至ること、何でも器用にこなせる分器用貧乏なんです、なんてことを話していると、「何言ってるの?器用貧乏は最大の武器よ」と言ってもらえました。組織に属そうとすると何でもできるは制約がかかるけれど、一人でやっていくときには潰しがきくのよ、と。「器用貧乏って器用な人のことを指すから、結局不器用じゃないんですよぅ」とも。
ちょっと自分に自信を持てた夜でした。
真空管のスピーカーでアナログレコードを流してくれるワインバーで、それぞれ来年の目標を宣言。「では、また来年、目標達成したか発表しましょう!」と言ってもらえたとき、来年のメンバーに私も入れてもらえたんだな、と思うとうれしかったです。がんばるぞ!
はじまってるよ、神戸ルミナリエ2016
どーん!神戸ルミナリエ2016、はじまっています。今年は12月11日(日)までです。
神戸ルミナリエに関する記事をこちらに掲載していただきました。さらっとルミナリエについてお知りになりたい方はぜひ。
私の個人的な想いや神戸ルミナリエの詳細について、興味をお持ちいただけたら、このままお読みください。こちらもご参照ください→「はじまるよ、神戸ルミナリエ2016」
震災のあった1995年、私は思春期と青春期の間にいました。私の通っていた高校は被害の大きかった地区の一つ、神戸市長田区にあります。住まいは幸いにも山側だったので、倒壊せず、電気・ガス・水がないという不便さだけで、被害はほとんどありませんでした。
当然、高校は避難所に。旧校舎と新校舎(建て替え中でした)、両方が残っていたので被災された人々は新校舎で生活されていました。炊き出しやトイレ掃除のお手伝いをしていたなぁ。「ありがとう」と言ってくれる人もいれば、「あんたらは家があるんや」という人もいました。決してあたたかい心ばかりだったわけではありません。いつから高校に通えるようになったのか、記憶があいまいです。女子は山側を歩けよ、と先生に言われたことを覚えています。余震のためだけでなく、治安もまた悪くなっていたのです。
部員数80名を超える大所帯の音楽部(合唱部)に所属していたので、慰霊式典などで歌うこともありました。「こんなの生きてる私たちが歌っても意味がないよ!」と泣いてわめいて顧問を困らせたこともあります。顧問を困らせたのはこれに限ったことではありませんがね。
1月に起きた震災、そして同年12月に始まったルミナリエ。震災の傷が痛々しく残る街に豪華でやさしいイルミネーションを運んでくれたのは、イタリア人ヴァレリオ・フェスティ(Valerio Festi)と、神戸市在住の今岡寛和氏。
当初の会期は2週間で、クリスマスにかかるかかからないかくらいまでありました。点灯時間に合わせて場所を陣取る人たちがいたり、トイレ戦争が激しかったり……けっこうすごかったな。経費節減の影響で、2007年度から12日間、2015年度には10日間に短縮されています。
社会人デビュー後数年は、会期中に帰省することも少なく足も遠のいていましたが、神戸に戻ってきてからはほぼ毎年行ってます。通勤経路だった時代は、出社時に、制作のため日本を訪れていた現場の陽気なイタリア人と「おはよう!」とあいさつしてたな。なつかしい。
開催が危ぶまれた年もありました。募金活動は毎年行われていたのですが、募金する人も少なくなったのでしょう。いつからか「100円募金」が始まりました。ワンコイン募金。これなら募金額を気にしなくてすみますよね。今年もたくさんの人が募金している姿を見かけました。
「すっげー!来てよかった!」「募金?俺するわ!」と言う学生や、「なんかしょぼくなってない?」「見て見て!きれい♡」というカップルたち。親子連れや台湾人観光客(ツアー団体だった)。
どんな感想でもいいし、震災の慰霊行事だ、なんて構えなくてもいいです。足を運んでその感動を味わっていただければそれでいいです。
あの震災以降、地震には過剰反応します。十勝沖地震、新潟中越大地震、東日本大震災、熊本、鳥取。地震大国日本に住んでいたら仕方ない、とはいえ怖いものは怖いし、できれば起きてほしくない。
大事な人は大事にできるときに、大事にしましょうね。
泣いてるヒマがあるのなら原稿の1本でも書け!
「こむはさ、本当にダメなときは私に連絡なんてしないよ~」
だから、大丈夫なんだよ。吐き出せるってことは大丈夫な証拠なんだよ。
「笑えないくらいしんどいとき、こむは私に会いにこないんだよね」
だから、本当につらいときにそばにいてあげられないのは歯がゆいんだよ。
「それひっくるめてこむだからさ、仕方ないよ(笑)」
1時間程度で終わらせようと思っていた電話は気付けば6時間。1日の1/4!
でも、涙も出ないほど心が痛くて痛くて、それをガマンする1時間より、よっぽど有意義な6時間でした。
つらい、とポロリこぼしたのは最初の30分だけ。あとの5.5時間は思い出話や縁切り神社に行ったほうがいいよとか、どんな本がオススメだとか、絵本っていいよね、とか。金銭感覚の問題とか、痩せてるとかダイエットしなきゃ、とかとか。他愛のない話がほとんどで。笑い転げて気づけば午前2時……
おかげさまで今日は寝不足で頭が重いけれど、心は晴れやか、元気よく1日のスタートを切ることができています。
過去のとある時間、それもたった2年。けれど、私の人生に大きく影響を与えた出来事があることは事実で、それは受け止めるより他仕方がなく、受け止めきれないものでもあるけれど、よく考えたら去年までの私と違って、いまはそんな感傷に浸っている時間はないのです。
何やってんだよ自分。これからの人生、どうなるかわからないのにそんなことで心痛めてるくらいだったら、原稿1本でも仕上げろよ。
文章にしたらもっとすっきりした。