箱の中にしまわれてしまうものにならないように
昨日は自分にとってとても大切なLIVEに出かけていました。
LIVE中、お客さんから発注の連絡がきていたのですが、15分返事しなかっただけで、他の方に割り振られていました。
最近その関係性に少し疲れていたので、この土日は少しゆっくりできます。
昨日はMIYAのLIVEでした。MIYAとは宮沢和史さんのソロ活動の名義です。以前このブログでも書いたように、歌唱活動休止前の本当のラストLIVE。友達と「THE BOOMの解散のときに感じたどうしようもない感情と、今回とではちょっとなんか違うね」と話しながらLIVEハウスに入りました。
整理番号は300番台、決して前の番号じゃないけれど、LIVEハウスに行き慣れてしまったわたしには(前のブロックに行ける!)という確信があり、華奢な体型を活かして人込みすり抜け、見事ステージセンター前から5列目のポジションをゲット。
わたしよりもずっと前からMIYAファンの友達が、それはそれは感動してくれました。
実はわたしはMIYAソロ名義の楽曲はまったく知らないのです。
でも、音楽はすごい。はしゃいでジャンプしてしんみりしたり泣いたりして。本来の音楽の在り方ってこういうものなんじゃないかな、と思います。
歌手生活26年。もうすぐ50歳を迎えるMIYAさん。
「このままステージにいたら、小さな頃から大好きだった音楽を嫌いになりそうな気がした」その気持ちもわかる気がします。
「音楽で世界は変えられないのかもしれない。僕の音楽なんてちっぽけな存在なのかもしれない。でも、僕が歌わなくなったら、音楽は歌う人がいなくなったら、箱にしまわれてしまうのかもしれません。だから、できたら歌ってほしい。歌う人がいる限り音楽はなくならないのだから」
今までのステージを振り返り記憶に焼き付けるように会場全体を見渡し、感無量の涙を浮かべながら袖に消えていきました。
人には欠かせないものがいくつかあると思います。わたしにとって音楽は、そしてLIVEはいつの頃からか欠かせないものとなりました。
そのうちの1つが消えてしまう。
それがただただ寂しく悲しい。
音楽はそれを通じて、自分ですら気付いていなかった傷口を思い出すことがあります。まだまだ癒えていないのだと。それすら抱えてこの先も生きていくのだと、そんな勇気をもらってきました。もちろん純粋に踊り出したくなる楽しみも。
わたしの人生に欠かせない理由は、心の澱をふわりと吐き出させてくれるからだと思います。