書評ライターKonomuの苦悩

フリーライターの悩みと打開策、日々の出来事などいろいろ書いています。

『生』は不平等なのに『死』は平等にやってくる

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6年前の私の体重は38kg。ちなみに身長は160cm。よくがんばれたものです。

世間様でいう高学歴の部類に入る私ですが、20代前半に「これでいいのか?このままでいいのか?」と考えさせられる出来事があり、安定や世間体などの枠組みにとらわれたくない、やれることをやれるときにやっておかないと後悔する、と思い、結果、転職を繰り返しさまざまな会社を渡り歩いてきました。

 

各会社で学び得たものは、良いことも悪いことも含めて、今の自分の生き方や考え方にプラスの影響をもたらしてくれています。


当時の私の勤務時間は9時から23時。残業?過労死ライン80時間を優に超えていたと思います。
(私がやらなきゃ誰がやるの?)
(私が的確な指示を用意しておかなければ、明日のスタッフの業務が滞っちゃう)
そんな私にかけてくれた先輩社員の一言がいまも鮮明に心に残っています。

「ねぇ、その業務ってやらなきゃ明日誰かが死んじゃうの?」

毎日、張りつめていた心の糸がぷつりと切れる音が聞こえた気がしました。

「誰かの生死にかかわる仕事って医者くらいなんだよ。命かけてまでやらなきゃいけない仕事って本当はないんだ。お前がいなくても仕事はまわる、組織はまわるんだよ」
だから帰って寝ろ、と。

自分じゃなきゃできない仕事なんて、本当はないんですよ。
自分じゃなきゃできない仕事は、自分の人生そのもの。

でも、そのことを教えてくれる人、気づかせてくれる人ってそうそういないんだよね。

生きたくても生きられなかった、生まれてこられなかった命がある。
でも、死は人生が短かろうが長かろうが、奪われようが選ぼうが、誰しもに平等にやってくる。

欠勤しようが誰かに殺されるわけじゃない。
いざとなったら気絶したふりでもすればいい。

仕事のために生きてるんじゃない、生きるための手段の一つが仕事なだけ。

朝から重いコト考えてるなぁ。
でも、日々過ごす暮らしの中で、いつも心のどこかにある考えなんです。