書評ライターKonomuの苦悩

フリーライターの悩みと打開策、日々の出来事などいろいろ書いています。

世界中にあふれる「愛してる」の意味を考える

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こんにちは、書評ライターKonomuです。
昨日はいろいろとかなしい日でしたね。いろいろ、です。

この感情をどう表現したらいいのかわからなかったので、「かなしい」と読む漢字を調べてみました。
そして「悲しい」と「哀しい」のほかに、もう一つ「かなしい」と読む漢字を見つけました。

それが「愛しい」です。

かなしいは激しく心が揺さぶれるさまを広く表す言葉であったため、「いとしい」「かわいい」といった意味では、「愛しい」と表記されたそうです。

 Twitterで仲良くさせていただいている名もなきライターさんのtweetを見て、まさにこれだな、と感じました。

人は、別れへの覚悟はできても悲しみへの準備はできません。
かすかな一筋の光明に、何かしら希望を見出すはず。

大切な人を亡くした時の悲しみが、深く複雑なものとなりやすい現代。
感情にふたをしてしまい十分に悲しむことができずに、未処理の感情をくすぶらせる人、予想を超えるような感情のゆさぶりに苦しむ人がいます。

最後の言葉である「愛してる」は、同じ境遇の人はもちろん、別の自由で大切な人を亡くした人、いまそばに大切な人がいる人、これから大切な人を見つけていきたい人など、さまざまな人の魂を揺さぶるものでした。

神様は非情だという人もいます。
ご家族がどう感じられているか、それらは私には知る由もありません。
神様がいるとしたら、誰にだって非情です。そういった意味では平等かもしれません。

昨日は沖縄慰霊の日でもありました。
沖縄戦戦没者名を刻む「平和の礎」の前で、かなしむ人、愛おしそうに刻まれた名をなぞる人がテレビに映し出されていました。
そこには今なお、新しい名前が追加されています。

24万人強の戦没者もやはり、最後に「愛してる」という言葉を残して旅立ったことでしょう。

最後の言葉の「愛してる」は世界中にあふれています。

個人的な過去の出来事を含め、世界規模で考えてしまった私は、それこそ感情のゆさぶりに苦しんでおり、途方に暮れています。なんとか落ち着かせるべく言葉にしてみたのですが、しばらくは整理をつけられなさそうです。

でも、同じ気持ちでいる人も多いのではないでしょうか。

今日のブログは誰のためでもなく、ただ自分のためだけに書いてしまっています。
名もさん、tweetを引用していいよ、って言ってくれてありがとうございます。